2009年01月09日
CHAGE and ASKA解散?!だのそ(゜o゜)
今朝、早出のM氏を送り出すために、早起きしてTVをつけたらびっくり!
「CHAGE and ASKA解散!」のニュースをいきなり見て、目が覚めてしまいました。
彼らは、今年デビュー30周年。
それを機に、今月末(2009年1月31日)で解散、今後はソロで活動してゆくそうです。
解散コンサートも、解散ツアーもしないんだって。
それぞれのソロ活動に力を入れたい2人は、既に昨年から気持ちを固めていたようですね。
理由は、音楽性の違いや、今後の活動の方向性の違いなどだとか。
当初は昨年の大みそかで解散する予定だったけれど、昨年11月に
CHAGEに長男が誕生したことなどもあり、今月末での解散となったようです。
私とチャゲアスとの出会いは、高校生の頃。
先にファンだった友人にカセットテープにお気に入りの曲をダビングして
もらったのが、はじまりです。
「モーニングムーン」がヒットする、ちょっと前あたりかな?
(ああっ、トシがばれてしまうぅ!)
それまでアイドルにもアーティストにも、まったく興味のなかった私が
初めて夢中になりました。
ファンクラブには入らなかったけれど、地元のコンサートには必ず行って
最前列とか、はりきってチケット取りしたり・・・。
「つま恋」や、名古屋のレインボーホールなんかにも行ったなぁ。
チャゲアスに夢中になりすぎていたので、他の男性にもまったく興味がなく、
彼がほしいとも全く思わなかったあの頃・・・(^_^;)
懐かしいなぁ・・・。
でも、ASKAがイギリスへ行っちゃったあたりから、少しさめてきちゃいました。
(私の友人は、その後もファンを続けていましたが。)
「SAY YES」以降、だんだんとアルバムも買わなくなってしまい・・・。
ちょうどベストアルバムの「STANDING OVATION」のあたりが、
LPとCDの変換期だったような気がしましたが、私はLPも集めた上に、
CDプレーヤーもまだ買っていないのに
CDを買ってしまったりして・・・(^_^;)
一番好きだったのは、アルバム「Mr.ASIA」「RHAPSODY」「ENERGY」
「PRIDE」の頃。
チャゲアスと出会ってから、昔の曲を聴きまくって、もちろんそれもアツくて
大好きだったのですが、リアルタイムで夢中だった頃はすごく思い出に
残っています。
ASKAが光GENJIの曲を作ったからって、光GENJIのアルバムまで
買ってしまったものねー。
表記も変化しましたね。
チャゲ&飛鳥(1979年 - 1988年)
↓
CHAGE&ASUKA(1989年 - 1990年)
↓
CHAGE&ASKA(1990年 - 2000年)
↓
今は「CHAGE and ASKA」になっていたんですねー。
2007年以降はライブ活動はしていなかったようです。
来月発売予定のベスト盤が最後になるようですね。
大分離れていたのですが、それでも、解散はすごくショックだぁ!
だって、チャゲアスは、私の青春なんだもん!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
CHAGE and ASKA
通称・チャゲアス。略表記: C&A。
中国語表記: 恰克與飛鳥。韓国語表記: 차게 앤 아스카。
・1979年、「チャゲ&飛鳥」として、「ひとり咲き」ででワーナー・パイオニアからデビュー。
このときのキャッチコピーは"九州から大型台風上陸!熱い喉が衝き叫ぶ!"。
・1980年、 シングル「万里の河」が大ヒット。
・1984年には、CHAGEが石川優子とのデュエットで「ふたりの愛ランド」をリリースし、大ヒット。
・1985年 、キャニオンレコード(現ポニーキャニオン)に移籍。
「モーニングムーン」がヒットする。
・1989年、 シングル「LOVE SONG」発売の際に正式表記を「CHAGE&ASUKA」に変更。
デビュー10周年を以って半年間活動を休止。
ASKAは渡英し、CHAGEはバンド「MULTI MAX」を結成。
・1990年、 初のロンドンレコーディングアルバム「SEE YA」を発表。
シングル「DO YA DO」発売の際、正式表記を「CHAGE&ASKA」に変更。
・1991年、フジテレビ系ドラマ「101回目のプロポーズ」の主題歌となった
「SAY YES」が約300万枚、オリコンチャート13週連続1位という空前の大ヒット。
続けて「僕はこの瞳で嘘をつく」も大ヒット。
・1993年、フジテレビ系ドラマ「振り返れば奴がいる」の主題歌
「YAH YAH YAH」が大ヒット。
・1994年、デビュー15周年。シングル「めぐり逢い」がヒット。
(私の中でのチャゲアスファンの歴史はこのあたりまでです。)
※フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より。
追記(H21.1.30)
その後、事務所が解散を否定したり、ホントのところどうなったのかな?
と思っていましたが・・・
自身のサイトで活動休止を発表したそうです。
所属事務所によると、
「ここ数年、2人で話し合いを重ねた結果、09年以降はデュオとしての
活動を休止するとの結論に至った」
とのこと。
今後は、それぞれがソロ活動を行っていくそうです。
「CHAGE and ASKA解散!」のニュースをいきなり見て、目が覚めてしまいました。
彼らは、今年デビュー30周年。
それを機に、今月末(2009年1月31日)で解散、今後はソロで活動してゆくそうです。
解散コンサートも、解散ツアーもしないんだって。
それぞれのソロ活動に力を入れたい2人は、既に昨年から気持ちを固めていたようですね。
理由は、音楽性の違いや、今後の活動の方向性の違いなどだとか。
当初は昨年の大みそかで解散する予定だったけれど、昨年11月に
CHAGEに長男が誕生したことなどもあり、今月末での解散となったようです。
私とチャゲアスとの出会いは、高校生の頃。
先にファンだった友人にカセットテープにお気に入りの曲をダビングして
もらったのが、はじまりです。
「モーニングムーン」がヒットする、ちょっと前あたりかな?
(ああっ、トシがばれてしまうぅ!)
それまでアイドルにもアーティストにも、まったく興味のなかった私が
初めて夢中になりました。
ファンクラブには入らなかったけれど、地元のコンサートには必ず行って
最前列とか、はりきってチケット取りしたり・・・。
「つま恋」や、名古屋のレインボーホールなんかにも行ったなぁ。
チャゲアスに夢中になりすぎていたので、他の男性にもまったく興味がなく、
彼がほしいとも全く思わなかったあの頃・・・(^_^;)
懐かしいなぁ・・・。
でも、ASKAがイギリスへ行っちゃったあたりから、少しさめてきちゃいました。
(私の友人は、その後もファンを続けていましたが。)
「SAY YES」以降、だんだんとアルバムも買わなくなってしまい・・・。
ちょうどベストアルバムの「STANDING OVATION」のあたりが、
LPとCDの変換期だったような気がしましたが、私はLPも集めた上に、
CDプレーヤーもまだ買っていないのに
CDを買ってしまったりして・・・(^_^;)
一番好きだったのは、アルバム「Mr.ASIA」「RHAPSODY」「ENERGY」
「PRIDE」の頃。
チャゲアスと出会ってから、昔の曲を聴きまくって、もちろんそれもアツくて
大好きだったのですが、リアルタイムで夢中だった頃はすごく思い出に
残っています。
ASKAが光GENJIの曲を作ったからって、光GENJIのアルバムまで
買ってしまったものねー。
表記も変化しましたね。
チャゲ&飛鳥(1979年 - 1988年)
↓
CHAGE&ASUKA(1989年 - 1990年)
↓
CHAGE&ASKA(1990年 - 2000年)
↓
今は「CHAGE and ASKA」になっていたんですねー。
2007年以降はライブ活動はしていなかったようです。
来月発売予定のベスト盤が最後になるようですね。
大分離れていたのですが、それでも、解散はすごくショックだぁ!
だって、チャゲアスは、私の青春なんだもん!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
CHAGE and ASKA
通称・チャゲアス。略表記: C&A。
中国語表記: 恰克與飛鳥。韓国語表記: 차게 앤 아스카。
・1979年、「チャゲ&飛鳥」として、「ひとり咲き」ででワーナー・パイオニアからデビュー。
このときのキャッチコピーは"九州から大型台風上陸!熱い喉が衝き叫ぶ!"。
・1980年、 シングル「万里の河」が大ヒット。
・1984年には、CHAGEが石川優子とのデュエットで「ふたりの愛ランド」をリリースし、大ヒット。
・1985年 、キャニオンレコード(現ポニーキャニオン)に移籍。
「モーニングムーン」がヒットする。
・1989年、 シングル「LOVE SONG」発売の際に正式表記を「CHAGE&ASUKA」に変更。
デビュー10周年を以って半年間活動を休止。
ASKAは渡英し、CHAGEはバンド「MULTI MAX」を結成。
・1990年、 初のロンドンレコーディングアルバム「SEE YA」を発表。
シングル「DO YA DO」発売の際、正式表記を「CHAGE&ASKA」に変更。
・1991年、フジテレビ系ドラマ「101回目のプロポーズ」の主題歌となった
「SAY YES」が約300万枚、オリコンチャート13週連続1位という空前の大ヒット。
続けて「僕はこの瞳で嘘をつく」も大ヒット。
・1993年、フジテレビ系ドラマ「振り返れば奴がいる」の主題歌
「YAH YAH YAH」が大ヒット。
・1994年、デビュー15周年。シングル「めぐり逢い」がヒット。
(私の中でのチャゲアスファンの歴史はこのあたりまでです。)
※フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より。
追記(H21.1.30)
その後、事務所が解散を否定したり、ホントのところどうなったのかな?
と思っていましたが・・・
自身のサイトで活動休止を発表したそうです。
所属事務所によると、
「ここ数年、2人で話し合いを重ねた結果、09年以降はデュオとしての
活動を休止するとの結論に至った」
とのこと。
今後は、それぞれがソロ活動を行っていくそうです。